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第0章 夏村さんは最凶です(5)

last update Tanggal publikasi: 2026-11-04 18:52:42

 毎日がこんな調子なら、そりゃあ心も擦り切れる。

 クラスでの俺の立ち位置は、いわば防波堤だ。

 ヤンキーの冷やかしや無茶ぶりを真正面で受け止め、仲間を守る壁。

 ……なんて格好いい言い方をすれば多少は気が晴れるけど、実際はただのサンドバッグでしかない。

 笑って流す。黙って耐える。やり過ごす。

 その繰り返しで、気づけば一日が終わっている。心が削れていく音が、自分にだけ聞こえる気がした。

 だから俺は、一刻も早く学校から離れたかった。

 終業のチャイムが鳴った瞬間、誰よりも速く廊下を抜け、玄関からバス停へ一直線――そうしたいのに、結局バス停では発車まで待ち時間がある。

 その待ち時間が、地味にきつい。

 誰かと鉢合わせるかもしれない。

 目が合うかもしれない。声をかけられるかもしれない。

 「かもしれない」だけで胃が縮む。

 ……つまり全力で逃げても、ゴールは地獄、みたいなオチが待っているわけだ。

 そこで俺は親に頼んで、自転車を買ってもらった。

 「勉強も大事だし、塾にも通うから」

 そう説明すれば、親も納得してくれた。

 実際、その理由は嘘じゃない。

 高校に入ってから週三で通い始めた進学塾が、南浦和駅の近くにあったからだ。

 浦和駅前はオフィス街で、塾が少ない。

 南浦和のほうが学生向けの進学塾が充実している。

 バスだと浦和駅でいったん降りて乗り換え――それを考えると、駅近くの駐輪場に止められる自転車のほうが、ずっと現実的だった。

 自転車通学を始めると、勉強仲間も次々に真似してきた。

「かず、バスはやっぱ危険地帯だよな」

「だろ? こっちの方が安全だし、自由だし」

 そう言って俺たちは揃ってペダルをこぎ、放課後は一緒に塾へ向かうようになった。

 片道数十分の距離が、ヤンキーとの鉢合わせに怯える恐怖と比べれば天国みたいに感じたのだから、我ながら単純だ。

 後に晏菜から聞いた話だが、浦和大鳳高校は入試の得点分布がきれいな二極性を描いていたらしい。

 成績の良い層と悪い層が、見事に割れている――という意味だ。

 晏菜の情報網の広さは相変わらず謎だけど、聞いて納得だった。

 確かに、俺たち勉強組とヤンキー軍団の学力差は天と地ほどある。

 校内の空気で言えば、トップは当然ヤンキーで、次が部活で青春を謳歌する『中間層』。

 井上さんなんかは完全にそっちのグループだ。

 で、最下層が俺たち勉強組――そう感じてしまう。

 悲しいが、肌感覚としてそうだった。

 体育の授業ではヤンキーたちの恰好のターゲットになる。

 授業中は背中に消しゴムの切れ端が飛んでくる。

 加えて、定期的に教室に現れては空気を押し潰す「なつさん」――あのヤンキー姉さん。

 正直、一番の恐怖の源は彼女だった。

 俺たちの毎日はシンプルだ。

 学校に来て授業に集中し、なるべく波風を立てずに過ごし、チャイムが鳴ったら一目散に撤退。

 トンネルの出口は見えない。見えないけど、走り続けるしかない。

 入学したばかりなのに、俺たちは早くも夏休みの到来を待ち望んでいた。

 青春ドラマなんて夢物語だ、と痛感していた。

 そんな日々の中で、一学期の中間テストを迎えた。

 困ったことに、この学校には妙な風習があった。

 主要五教科の合計点で上位十名を、職員室前の掲示板に貼り出すという悪趣味なイベントだ。

 こんな荒れた高校だからか、テスト自体の難易度は低め。

 勉強一筋の俺たちにとっては拍子抜けするくらい簡単だった。

 返却された答案は、どれもこれも満点。

 正直、順位を見るまでもなく自分の位置は確定していた。

 ……ただ、不安もあった。

 全科目満点なんて目立ち方をしたら、ヤンキーに格好のネタにされる。

 冷やかしのターゲットがさらに強化される未来が見えて、胃のあたりがきゅっと縮んだ。

 けれど結局、俺は成績優秀の道を選んだ。隠しても意味がない。

 言葉の暴力なんて、もう慣れっこだ――そう自分に言い聞かせるしかなかった。

 四時限目が終わると、俺は仲間に声をかけた。

「せっかくだし、前の方で見ようぜ」

「かずくん、なんか自信満々だね。私、ちょっと怖いんだけど」

「そうだよね。多江ちゃんは出身中学が有名校だから、逆にプレッシャーでしょ。お察しします」

「だから、からかわないでってば!」

 多江ちゃんが頬を膨らませる。

 からかうつもりはなかった――いや、半分はからかっていたかもしれない。

 俺の口調が軽すぎた。

 ふと隣を見ると、井上さんの姿はもうなかった。

 行動、早すぎ。さすが運動部。

 掲示板の前はすでに人だかりができていた。

 ほとんどが一年生。

 初めての発表だからか、好奇心で集まるのは当然だ。

 女子のグループの中から、ひときわ背の高いシルエットの一群が目に入った。

 視線が合うと、その子がニッと笑って軽く手を振ってきた。

 ……井上さんだ。

 横の女子たちは「ヒューヒュー」と冷やかしている。

 バレーボール部の仲間だろう。

 俺は反射的に目を逸らしかけて、踏みとどまった。

 逸らしたら負けだ。

 何の勝負か分からないけど、負けた気がする。

「かず、井上さんと仲いいよな。付き合ってんの?」

「いやいや、どうだろうな」

 とりあえずごまかしながら、俺は人混みを介して反対側に回った。

 けれど井上さんの視線が、ずっと俺を追っているのは気づいてしまった。

 ……それだけで妙に落ち着かない。

 やがて職員室から渋谷先生が姿を現した。

 手には巻物みたいな順位表。

 掲示板にピンで留め、くるくると広げていく。

 まずは二年生の発表。

 一位は小鳥遊先輩、二位は上郷地先輩……名前が難しくて読めなかった。

 今は関係ない。

 そして、いよいよ一年生。

 ……予想通り、俺は一位だった。

 全科目満点なら当然だ。とはいえ、やっぱり心中は複雑だった。

 「やったぜ」と叫びたい気持ちと、「終わった」の気持ちが同時に湧く。

 ヤンキーに知られたら面倒になる未来しか見えない。

 俺の足は自然と、人混みから離れていった。

 その時だ。

 背中にビリッとした視線を感じた。

 思わず振り返るが、人が多すぎて誰のものかは特定できない。

 ただ、その「圧」だけが妙に生々しく、肌に残った。

 教室に戻ると、すでに井上さんが席に座って待っていた。

 机に肘をつきながら、こっちを見て微笑んでいる。

 ……あの笑顔、ずるい。

「高松君、おめでとう。一位って本当にすごいね」

「ありがとう。まあ、テストが簡単だったから」

「簡単でも満点は取れないよ。私なんて、どこかで必ずケアレスミスするし」

「いや、井上さんは部活やりながらだし。俺は勉強一本だから」

「そうやってすぐ逃げ道つくるんだから」

 井上さんが少しむくれた顔をする。

 そういう顔も見慣れてない俺には新鮮で、なぜか心臓が跳ねた。

 井上さんは少し声を落とした。

「……さっき手を振ったの、迷惑だった?」

「全然。むしろ……嬉しかったよ」

 言った瞬間、自分でも赤面しているのがわかる。

 しまった。

 こういう返し、もっとクールにできるはずだろ俺。

 けれど井上さんは、嬉しそうに目を細めた。

「よかった。みんなにからかわれてるからさ、ちょっと心配してたの」

「俺も、仲間に冷やかされたよ」

「やっぱりそうなんだ」

 井上さんがクスクス笑う。

 俺は笑えない。

 からかわれるのは慣れてるはずなのに、彼女の前だと変に意識してしまう。

 そして井上さんは、さらっと距離を詰めてくる。

 机に肘をついたまま、俺の顔を覗き込むようにして言った。

「ねえ、高松君」

「な、なに?」

「私ね。高松君と話すと落ち着くんだ」

 胸の奥が、変な音を立てた。

 俺は咄嗟に笑ってごまかそうとする。

「俺と? いや、俺、女子と話すの慣れてないだけで……」

「それがいいの。素直な感じがして」

 言い方が直球すぎて、俺は目を泳がせた。

 井上さんはそれを面白がるみたいに笑って、さらに続ける。

「男子って、見栄張ったり強がったりする人が多いでしょ? でも高松君は、ちゃんと本音で話してくれる気がする」

「……本音っていうか、俺はただ、取り繕うのが下手なだけだよ」

「それでもいい。私はそういうの、嫌いじゃない」

 ……ずるい。

 そういう言葉を、平気で言えるのがずるい。

「……井上さんこそ、勉強も部活も両立しようとしててすごいと思う」

「本当はね、入学してからしばらく迷ってたんだ。部活に力を入れるか、勉強に切り替えるか。レギュラー狙うなら今が勝負だし。でも将来のことを考えると勉強も捨てられない。だから両立するしかないんだって思った」

「難しい選択だな」

「でも、高松君を見てるとね……ちょっと頑張ろうって思えるの」

「俺を見て?」

「そう。だって、一人で黙々と勉強して結果を出してるじゃない。すごいよ」

 俺は、視線を落とした。

 褒められるのは嫌いじゃない。

 でも、俺の努力の根っこはそんな綺麗なものじゃない。

「俺は……逃げ場が欲しかっただけだよ。勉強して目立たなくすればヤンキーに絡まれにくい気がしたから。でも結局、かえって目立った気がする」

「……そんなことだろうなって思ってた」

 井上さんは、笑わなかった。

 その代わり、少しだけ真剣な目になった。

「でも、それでもやるって決めたんでしょ? 逃げてもいいのに、逃げなかった」

「……結果的にね」

「結果でもいい。私はそれ、すごいと思う」

 その言葉が、妙に刺さった。

 俺は何か返そうとして――返せない。

 そこへ、勉強仲間が戻ってきて、いつもの冗談混じりの会話に巻き込まれる。

 笑い合う時間は楽しかった。

 楽しかったはずなのに、頭の片隅にはずっと井上さんの言葉と、あの距離感が残っていた。

 ……気づけば、ヤンキーの存在よりも、彼女の視線の方が勝っていたのかもしれない。

 だが、現実は甘くない。

 一人、また一人とヤンキーが戻ってきて、教室の空気は徐々にいつもの緊張感に染まっていく。

 そして――廊下から、ペタペタと足音が近づいてきた。

 その足音の主こそ、さっき俺に「圧」だけを残していった存在。

 『なつさん』だ。

 教室の入り口で、なつさんの視線が止まる。

 確実に、俺を捕らえていた。

 ……井上さんとの会話で、一瞬だけ夢を見た俺は、すぐに現実へ引き戻されることになる。

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     入学して数日が経つと、ようやく教室の空気にも慣れてきた。 とはいえ「慣れた」というのは、危険がないと理解できたわけじゃない。 単に、危険がどこに潜んでいるかを身体が覚えただけだ。 教室の後ろの壁には、拳大にへこんだ跡が残っていた。 誰にも聞いていないが、聞く必要もなかった。 誰かが、何かの拍子に、そこへ拳を叩きつけたということだけは、傷そのものが雄弁に語っていた。 担任も、それについては何も触れない。触れないという選択そのものが、この教室の力関係を物語っているようだった。 ヤンキーたちの視線をなるべく避けながら、それでも俺と同じように大学進学を目指すやつらが何人かいることが分かった。 俺は彼らを心の中で「勉強仲間」と呼び、自然と一緒に過ごす時間が増えていった。 勉強の話ももちろんする。 でも、話題の中心はいつだってひとつだった。 ――いかにしてヤンキーたちと関わらずに済むか。 いや、むしろそれが最重要テーマだったと言っていい。 触らぬ神に祟りなし。俺たちはただ静かに、そして目立たず、この三年間をやり過ごす……はずだった。 まず最初に仲間となったのは、坂本巧。偶然にも彼の兄と俺は小学生の頃から趣味仲間で面識があった。 その縁もあって、坂本とは最初から妙に自然と距離が縮まった。「おう、高松。よろしくな」 初対面のはずなのに、すでに「知ってるやつ」みたいな温度で話しかけてくる。 その雑さが、逆にありがたかった。 次に佐々木大輔。元気いっぱいでクラスのムードメーカー……と言えば聞こえはいいが、声が無駄にでかくてデリカシーが薄い。 本人は悪気がないのが厄介で、ヤンキーの神経を逆なですることが多い。俺たちにとっては常に地雷を抱えているようなものだった。 |鵜坂《うざか》博之は、この高校の目と鼻の先にある大久保中学の出身で、実家がこの周辺に多くの田畑を持っているらしい。 牧野宏は浦和駅から京浜東北線で北へ二駅の与野駅前で中華料理屋を営む家の息子。 雨宮さくらちゃんは坂本と同じ中学出身で、後に――まあ、それはまた先の話だ。 そして、小倉多江ちゃん。 多江ちゃんについては、のちほど詳しく説明する。 なぜか俺は女子にだけ「ちゃん付け」で呼んでしまう癖がある。 多江ちゃんも、さくらちゃんも、それが自然に口から出た。 自分でも理由

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